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1 怪物・江川 備 考
江川 卓

作新学院
(栃 木)
「怪物・江川」のストレートは既にプロレベルに達していた。時速150kmを越す球速で打者の手元で高めにホップするため、高校生にはバットに当てることすらままならなかった。ファールチップすると観衆からどよめきが沸いたものだ。

予選36イニング無安打
県予選では2度の完全試合を含む9度のノーヒットノーランを達成しているが、とにかく味方打線の援護がないので、勝つためにはひたすら完封し続けるしかないのだ。2年の夏は予選準決勝で小山に延長11回スクイズの1失点で敗退している。小山と対戦する前の試合は、3試合連続ノーヒットノーランで、その内1試合が完全試合だった。小山戦も10回2死まで無安打、打たれた中前テキサス安打は実に37イニング目に許した"初安打"だった。

怪物の敵は相手の好投手
一人の走者も出さないことが勝つために最善な方法であり、もし走者を出した場合は本塁に帰さないこと、つまり完封することが最善の方法である。0対0が延々と続くと、怪物の敵はもはや相手打線ではなく、相手の好投手だったり、打てない味方打線ということになる。ちなみに最後の夏(昭和48年)の予選で記録した作新学院のチーム打率は.204。およそ県予選の優勝校らしからぬ"低打率"である。1対0で勝つというその"環境"こそが江川のピッチングに磨きをかけたともいえる。

怪物・江川の公式戦登板成績 (◯●は江川の勝敗、◎は完封勝利)
1年(昭和46年)
《第53回全国大会栃木県予選》
 2回戦__◯10-0 足尾__=救援5回無安打無走者 (7奪三振/無四球)
 3回戦__◯5-0 足利工大付=先発8回3安打無失点 (6奪三振/1四球)
 準々決勝_◎4-0 烏山___完全試合[1] (9回/8奪三振/無四球)
 準決勝__●3-5 宇都宮商 =延長11回無死で四球を与え降板(8奪三振/4四球/自責3)
※救援投手が打たれ、敗戦投手
《第24回秋季関東地区大会栃木県予選》
 1回戦__◎2-0 足利工__ノーヒットノーラン[1] (9回/9奪三振/1死球)
 準々決勝_6-2 大田原__=先発3回無安打無走者 (6奪三振/無四球)
 準決勝__◯6-2 宇都宮商 =完投9回7安打2失点 (12奪三振/7四球)
 ___◯2-0 宇都宮学園=完封3安打 (11奪三振/2四球)
《第24回秋季関東地区大会》
 1回戦__1-2 前橋工__=先発4回無安打無失点 (10奪三振/1四球)
 ※小池投手(前橋工)から頭部死球を受け5回退場・入院

2年(昭和47年)
《第25回春季関東地区大会栃木県予選》
 1回戦__◎5-0 黒羽___ノーヒットノーラン[2] (9回/17奪三振/3四球)
 準々決勝_◯4-1 高根沢商_=完投9回2安打 (12奪三振/2四球/自責0)
 準決勝__◯6-3 宇都宮商 =完投9回4安打 (7奪三振/6四球/自責3)
 ___3-2 足利工 =先発1回1/3降板 (2安打/4奪三振/2四球/自責1)
《第25回春季関東地区大会》
 2回戦__◎11-0 前橋育英ノーヒットノーラン (15奪三振/1四球) ※7回参考記録
 準決勝__●0-1 千葉商=完投12回2/3 (8安打/15奪三振/3四球/自責0)
《第54回全国大会栃木県予選》
 2回戦__◎9-0 大田原_ノーヒットノーラン[3] (9回/13奪三振/1四球)
 3回戦__◎3-0 石橋__完全試合[2] (9回/17奪三振)
 準々決勝_◎1-0 栃木工_ノーヒットノーラン[4] (9回/16奪三振/3四球)
 準決勝__●0-1 小山__=延長11回スクイズ1失点 (4安打/15奪三振/1四球)
《第25回秋季関東地区大会栃木県予選》
 1回戦__◯14-0 那須__=先発5回無安打無失点 (14奪三振/3四球)
 準々決勝_◎4-0 足利工_=完封2安打 (15奪三振/2四球)
 準決勝__◯9-0 宇都宮学園=先発6回2安打無失点 (6奪三振/2四球)
 ___◎7-0 烏山__=完封2安打 (10奪三振/1四球)
《第25回秋季関東地区大会》
 準々決勝_◯10-0 東農大二=先発6回1安打無失点 (13奪三振/1四球)
 準決勝__◎4-0 銚子商=完封1安打 (20奪三振/1四球)
 ___◎6-0 横浜_=完封4安打 (16奪三振/無四球)

3年(昭和48年)
《選抜高校野球大会》
 1回戦__◎2-0 北陽_=完封4安打 (19奪三振/2四球)
 2回戦__◯8-0 小倉南_=先発7回1安打無失点 (10奪三振/3四球)
 準々決勝__◎3-0 今治西_=完封1安打 (20奪三振/1四球)
 準決勝__●1-2 広島商_=完投8回2安打2失点 (11奪三振/8四球/自責1)
《特別国体》
 1回戦__●0-1 岩国_=完投8回5安打1失点 (7奪三振/7四球/自責1)
《第26回春季関東地区大会》
 準々決勝_◯7-0 高崎商=先発5回1安打無失点 (11奪三振/1四球)
 準決勝__◯5-1 銚子商=完投5安打1失点 (9奪三振/3四球/自責1)
 ___◯4-1 横浜_=救援4回2安打無失点 (5奪三振/1四球)
《第55回全国大会栃木県予選》
 2回戦__◎4-0 真岡工_ノーヒットノーラン[5] (9回/21奪三振/1四球)
 3回戦__◎2-0 氏家__ノーヒットノーラン[6] (9回/15奪三振/無四球/振逃1)
 準々決勝_◎5-0 鹿沼商工=完封1安打 (15奪三振/2四球)
 準決勝__◯6-0 小山__=先発8回1安打無失点 (10奪三振/2四球)
 ___◎2-0 宇都宮東ノーヒットノーラン[7] (9回/14奪三振/無四球/2失策)
《全国高等学校野球選手権大会》
 1回戦__◯2-1 柳川商_=延長15回完投7安打 (23奪三振/3四球/自責1)
 2回戦__●0-1 銚子商_=完投11回1/3 (11安打/9奪三振/5四球/自責1)
※延長12回サヨナラ押し出し
《千葉国体》
 1回戦_◎1-0 広島商=完封2安打 (17奪三振/3四球)
 準決勝__◎5-0 静岡=完封4安打 (11奪三振/無四球)
 ___2-3 銚子商_=先発2回2安打 (2奪三振/無四球/自責1)

江川は昭和47年秋の県大会と関東大会を無失点で優勝(秋季大会成績:7勝0敗 / 53回 / 被安打12 / 奪三振94 / 奪三振率15.96 / 失点0 / 自責点0 / 防御率0.00)。新チーム結成以来、練習試合を含む23戦全勝、負けなしという驚異的な成績で3年時(昭和48年)の春の選抜大会出場を手にした。ようやく怪物が甲子園に登場する。

19奪三振の鮮烈デビュー
昭和48年春、開会式直後の1回戦で、北陽(大阪)相手にいきなり先発全員の19奪三振という鮮烈デビューを果たす。はじめて甲子園でベールを脱ぐ怪物に戦前から注目が集っていたが、想像以上のストレートの速さと伸びに度胆を抜かれ、日本中がテレビ中継に釘付けになった。怪物の投げっぷりはおよそ高校生とは信じがたい堂々たる風格があり、ゆったりとしたフォームから投げ下ろされるストレートの球筋は、変化球全盛の当時のプロ野球でもお目にかかれない超一級品だった。
北陽戦の立ち上がりは冠野、慶元(クラウン→西武→近鉄)、広瀬、藤田、有田(近鉄→巨人)を5者連続三振。初めてバットに当たったのは、5番有田がファールした23球目。観衆からどよめきが沸いた。その後、6番杉坂と1番冠野に四球を出したが、アウトは11者連続の三振。初安打は有田の2打席目、前進守備の右翼手の上を越えた三塁打(しかし、次打者杉坂のとき有田は三本間に挟殺され3アウト)。8回、三塁ゴロ併殺で毎回三振を逃した江川は9回を三者三振で締め、最終打者の4番藤田は4打席連続三振に仕留めている。ちなみに、北陽は秋季大阪大会1位、近畿大会2位でこの大会に選抜され、出場校中最高の打率.336という強打のチームは押しも押されぬ優勝候補の一角だった。

▼昭和48年選抜大会・1回戦 (北陽)有田二三男 (作新)江川卓
___.000 000 000=0
作 新 学 院.010 001 00X=2

【北 陽】123456789
(捕)冠 野300211三振四球三振三併
(左)慶 元410301三振三振中安三振
(中)広 瀬400301三振三振左飛三振
(一)藤 田400400三振三振三振三振
(投)有 田320101三振右3遊安
(遊)杉 坂200111四球三振捕ゴ
(三)阪 田300100三振左飛一ゴ
(右)長 崎100100三振
西 村100100三振
西 中110000右安
(二)河 本300200三振三振一邪
29401925

2回戦で小倉南(福岡)から7回10奪三振、珍しく打線が奮起して大量リードの中、余裕の降板だ。続く準々決勝では、今治西(愛媛)を相手に、8連続を含む毎回の20奪三振を記録する奪三振ショーで1安打完封。8連続奪三振は大正15年夏の和歌山中・小川正太郎の記録に並ぶ快挙だった(平成24年夏の選手権・第94回大会で桐光学園の松井裕樹が今治西戦で10連続奪三振を記録)。毎回三振の内、3・4・6・8・9回のアウトは三者三振である。あまりの凄さに怪物フィーバーもついに頂点に達する。

▼昭和48年選抜大会・準々決勝 (作新)江川卓 (今治)矢野正昭、佐伯秀文
作 新 学 院.001 011 000=3
__西.000 000 000=0

【今治西】12345678
(遊)曽我部400400三振三振三振三振
(二)大 上400200右飛三振二ゴ三振
(捕)田 鍋310101遊ゴ三振中安
(三)渡辺一300000左飛二ゴ二ゴ
(一)大 谷300200三振投ゴ三振
(左)森 田300300三振三振三振
(投)矢 野200200三振三振
宇 高100100三振
大 窪000000
(右)渡辺隆100100三振
阿部公100100三振
佐 伯000000
武 田000011四球
(中)阿部修300300三振三振三振
28102012

試合巧者の広島商に初失点
迎えた準決勝は、3試合連続完封の好投手・佃正樹(法大→三菱重工広島)を擁する試合巧者の広島商。迫田穆成監督(現・如水館監督)の江川対策は、(1)点をやらず相手のミスを待つ(2)ファールで粘って球数を投げさせる(3)投球テンポを狂わせるだった。江川はこの試合、広商打線をテキサスヒットと内野安打のわずか2安打に抑え込み11三振を奪うほぼ完璧な投球。しかし5回、四球の達川光男(東洋大→広島)を二塁に置いて佃がチーム初安打となるテキサスヒットを放ち、江川に140イニングぶりの失点を与える。8回、四球と内野安打で出た走者が2死からダブルスチールを敢行、捕手の悪送球で二塁走者の金光興二(法大→三菱重工広島→広島商監督→法大監督)が生還。知将・迫田の狙いがズバリ的中、作新のミスが決勝点を生み1対2、江川作新はベスト4で敗退した。

▼昭和48年選抜大会・準決勝 (作新)江川卓 (広島)佃正樹
作 新 学 院.000 010 000=1
__.000 010 01X=2

大会通算最多・60奪三振
対北陽戦=19、対小倉南戦=10、対今治西戦=20、対広島商戦=11。江川はこの大会で通算60奪三振を記録、昭和5年選抜優勝の第一神港商・岸本正治の作った54奪三振の従来記録をあっさり塗り替えた。60奪三振はもちろん現在でも選抜大会記録である。

48年夏の県予選
続く夏、決勝(対宇都宮東)を含む3試合でノーヒットノーランを達成している。3回戦氏家は無四球ながら振り逃げで走者を許して完全試合を逃し、準々決勝・鹿沼商工戦の4回に遊越えテキサスヒットで連続無安打が22イニング目にストップ、決勝・宇都宮東戦でも無死球ながら失策で走者を許して完全試合を逃している。県予選の5試合を被安打2、70奪三振の無失点という驚異的成績を残して、怪物はまさに“天下無敵”の勲章をひっさげて再び甲子園にやってきた。

柳川商から23奪三振
48年夏の選手権1回戦は、柳川商(福岡)に対江川用の奇策「プッシュ打法」作戦で6回に予選以来の初失点(練習試合含むと146イニングぶり)を奪われるが、7回に追いつき、試合は1対1のまま延長戦に突入する。延長15回に柳川商外野陣の中継ミスで作新学院が2対1でサヨナラ勝ちした。この試合を完投した江川は15回の参考記録ながら大会史上2位の23奪三振を記録。1位の板東英二(徳島商)が18回=25奪三振だから、1イニングの奪取率は江川=1.53、坂東=1.39となる。

▼昭和48年選手権大会・1回戦 =延長15回= (柳川)松尾勝則 (作新)江川卓
__.000 001 000 000 000=1
作 新 学 院.000 000 100 000 001X=2

【柳川商】123456789101112131415
(遊)吉 田620002右飛右安遊ゴ左安投ゴ一邪
(左)古 賀630202三振左安三安左安三振三飛
(中)松 藤611301三振三振右3中飛三振左飛
(一)徳 永610201三振右飛三振遊ゴ二飛右安
(右)坂 口500300三振三振遊飛二ゴ三振
菊 次100100三振
(捕)三 宅600200三振投ゴ遊飛一邪三振右飛
(二)400421三振三振四球三振三振四球
(三)遠 竹600400遊ゴ三振三振三振三飛三振
(投)松 尾500211一ゴ三振三振四球一飛遊ゴ
51712338

実は、春季大会後の各地の招待ゲームなどで走り込みが不足、さしもの怪物も連投の無理がたたって調整不十分のまま夏の甲子園に乗り込んでいた。江川自身、球が走っていないためマウンド上で“首をかしげる”特有のポーズが多かった。それにもかかわらず柳川商を相手に23奪三振の快投はさすが怪物である。

雨中の押し出しサヨナラ負け
2回戦で銚子商(千葉)と対戦、相変わらず打線の援護がない。本格派の好投手・土屋正勝との熱投は0対0のまま、この日も延長戦に突入した。不調の江川は苦心の投球が続くが、試合途中から降り出した雨が追い打ちをかける。雨でボールがすべり制球がままならない。12回裏1死満塁のピンチを招いてカウント2−3という場面、滑り止めをしのばせる右のポケットに手を入れながら、内野手全員をマウンドに集めている。この段階で怪物はその最後の瞬間を覚悟していたに違いない。傍から見ると何故この場面でと思うような行動だが「ストレート1本で勝負」という確認をし合ったのだという。それほど追い込まれていたのである。そして、最後の1球、この日江川が投じた169球目は明らかに高く外れるボール。長谷川に痛恨の押し出し四球を与え、サヨナラ負けを喫してしまう。怪物・江川の甲子園はあっけなく幕切れした。黙って帽子をかぶり直した江川は、得意の小首をかしげるポーズにも怪物の面影はない。静かにマウンドを降りる寂しげな姿が何とも印象的だった。

▼昭和48年選手権大会・2回戦 =延長12回= (作新)江川卓 (銚子)土屋正勝
作 新 学 院.000 000 000 000=0
__.000 000 000 001X=1

江川の不運
相手が同じ関東勢の銚子商だったことも江川にとっては不運だった。秋の関東大会で江川に21奪三振の1安打完封された銚子商だが、5月の4度目の対戦では4安打1点、9奪三振と江川の球に大分慣れてきていた。実際、秋の関東大会後「1安打でノーヒットノーランを免れるのが精一杯だった」と斉藤一之監督がコメントしているように黒潮打線をして江川の前では完全にお手上げ状態だった。この日の江川はやはり得意のストレートが走らず、春のようにバッタバッタと三振に取るさっそうとした面影はなかった。「あんなもんじゃない。20三振を奪われたときと比べて江川のデキが悪い」とみた斉藤監督は選手に「伸びがないので低めに的を絞って打っていけ」と指示を出している。

勝利の女神は微笑まない
実は10回裏に本来ならゲームセットという場面があった。銚子商の磯村が左中間を破る三塁打を放って無死三塁。絶体絶命の江川は渾身の全力投球で土屋を三振に仕留めた1死三塁、打者宮内のカウント0−3からスクイズの奇襲を見破って三塁走者を挟殺。一旦はピンチを脱したと思われた2死一二塁から銚子商の長谷川に右前ヒットエンドランを決められている。「これで終わった」と江川はバックアップも忘れてただ呆然と打球を見ていた。右翼和田のバックホームは好返球ながらタイミングは誰が見ても完全にセーフ。銚子商サヨナラ勝ち!と思った次の瞬間だった。作新の小倉捕手の走塁妨害スレスレのブロックが二塁走者多部田の本塁突入を阻止、タッチアウト。ヘッドスライディングで捕手と激突した多部田は右目横から流血する凄まじさだった。このピンチを脱した江川に勝利の女神は微笑んでくれることはなかった。

圧倒的な投球内容
結局甲子園で4勝しかあげていない江川が怪物といわれたのは、その圧倒的な投球内容である。在学中の公式戦登板44試合、完投した30試合中の3割に当たる9試合を無安打、それ以外の試合もほとんどが1安打か2安打しか許していない。甲子園で連戦連勝した桑田(PL学園)や松坂(横浜)は強いチーム力に支えられていたが、投手個人の力では断然江川が上といわざるを得ない。予選、甲子園大会を通じてほとんど打たれていない、こんな投手は二度と出てこないだろう。甲子園での通算成績は、6試合(4勝2敗)、投球回数59回1/3、奪三振92(1試合平均15.3)、自責点3、防御率0.46。そんな「怪物・江川」をして甲子園の頂点に立つことはなかった。それが野球、それが甲子園なのだ。
昭和48年春=ベスト4
 (大会通算=60奪三振)
 ※選抜大会記録
 (対北 陽=19奪三振)
 (対今治西=20奪三振)

昭和48年夏=2回戦
 (対柳川商=15回23奪三振)

公式戦通算記録
 登板試合44
 完投試合30
 完封試合20
 無安打無得点試合9
 無安打無得点無四球試合4
 完全試合2
 33勝6敗/勝率.846
 投球回数354回
 被安打103
 被本塁打0
 奪三振531(1試合平均13.5)
 自責点16、防御率0.41


甲子園通算成績
 投球回数59回1/3
 奪三振92(1試合平均15.3)
 自責点3、防御率0.46
 4勝2敗
 2完封
 選_抜3勝1敗
 選手権1勝1敗


その他通算記録
 139イニング連続無失点(48年春)
 145イニング連続無失点(48年夏)
 36イニング連続無安打(47年夏)
 21イニング連続無安打(48年夏)

法大(通算47勝:史上2位)
巨人
プロ通算成績
 135勝72敗
 勝率.652
 防御率3.02
 1366奪三振
 110完投
 27完封
 23無四球
 最多勝利:2回
  16勝(昭和55年)
  20勝(昭和56年)
 最優秀防御率
  2.29(昭和56年)
 最高勝率
  2回(昭和56年、59年)
 最多奪三振
  3回(昭和55年〜57年)
 投手五冠王
  昭和56年(史上6人目)
 シーズン10無四死球
  昭和57年(セ・リーグ記録)

プロ野球解説者
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