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13 低めを突くと砂塵が舞った 備 考
前岡 勤也
(井崎)  

新 宮
(和歌山)
昭和30年当時、あの大明神・坂崎一彦をしても歯が立たなかった剛球左腕がいた。新宮(和歌山)の前岡勤也である。ホップする直球を持ち、低めを突くと、その球の回転で地面から「砂塵が舞った」という伝説が伝わるのは、この前岡と浪商の怪童・尾崎行雄だけである。三重県の井崎家に生まれたが、新宮の前岡家に養子となっていたため、甲子園大会では前岡姓を名乗っていた(のち井崎姓を名乗る)。

戦後最長の延長17回
前岡は2年生時、前年29年の春夏にまず甲子園出場を果たす。春は熊本工に2対4で初戦敗退するが、夏は初戦・武生(福井)を完封2対0、準々決勝も、北海相手に戦後最長(当時)となる延長17回を投げ抜いて見事1対0で完封している。

▼昭和29年選手権大会・準々決勝 =延長17回= (新宮)前岡勤也 (北海)西村順一
新 宮 000 000 000 000 000 01=1
北 海 000 000 000 000 000 00=0

準決勝では優勝した強豪・中京商に2対4で敗退、惜しくもベスト4止まり。打線の援護がほとんどなかったため、優勝に絡むことはなかったものの、随所にその大器の片鱗ぶりがのぞいた。

坂崎大明神
当時、戦後最強チームと呼び声がかかったスター軍団・浪華商の4番をつとめた坂崎一彦(のち巨人、東映)は、打率6割、本塁打2本(戦後初)、打点10を記録、昭和30年春の選抜を制している。決勝の対戦相手・桐生(群馬)の監督は闘将といわれた稲川東一郎。「坂崎大明神」と大書きした紙をそこいら中に張り出して敬遠作戦に出た。無死一二塁の場面、三塁を埋めてでも歩かせた。のちに明徳義塾戦の5敬遠で話題を呼んだ星稜・松井秀喜も真っ青の敬遠策で、この試合坂崎は4度歩かされている。徹底して勝負を避けていた桐生・今泉喜一郎投手がどうしたことか、6回1死1塁の場面で勝負に出た。この"唯一の打席"で、坂崎は舌舐めずりして逆転本塁打を右翼席に叩き込んだというから凄い。準優勝投手の今泉(のち大洋)は、準々決勝の明星戦でノーヒットノーランを達成した好投手であり、全打席敬遠は彼のプライドが許さなかったのだろうか。「坂崎ひとりに優勝をさらわれた」稲川監督は非運の闘将と称され、巷では「坂崎大明神」が流行語となった。

打倒・浪華商
さて前置きが長くなったが、前岡の新宮は30年夏の1回戦でいきなり春の覇者・坂崎の浪華商と対決した。そして坂崎を抑え込んだ前岡の投打にわたる大活躍で3対2、優勝候補を倒したのである。

▼昭和30年選手権大会・1回戦 (新宮)前岡勤也 (浪華)谷本隆路、広島衛
_宮 001 020 000=3
浪華商 000 000 002=2

その勢いに乗って迎えた2回戦の対戦相手は、常連校の小倉(福岡)。畑隆幸(西鉄→中日)との注目の本格派左腕同士の一騎討ち、前岡が12奪三振の2安打完封、2対0で勝利した。準々決勝ではふたたび中京商に敗れてベスト8止まり。

▼昭和30年選手権大会・2回戦 (新宮)前岡勤也 (小倉)畑隆幸
新 宮 000 001 100=2
小 倉 000 000 000=0

甲子園での投手成績
大 会スコア対戦相手備 考
昭和29年春2回戦02-4___完投:5安打8奪三振
昭和29年夏2回戦02-0___完封勝利(1):5安打12奪三振
準々決勝01-0__完封勝利(2):6安打15奪三振 (延長17回)
準決勝02-4__完投:5安打6奪三振
昭和30年夏1回戦03-2__完投勝利:4安打10奪三振
2回戦02-0___完封勝利(3):2安打12奪三振
準々決勝00-6__完投:4安打14奪三振

高校球界を沸かせたスターということで、卒業後は南海・読売との激しい獲得競争の末、破格の契約金で大阪タイガース(現・阪神)に入団するが、嶋清一ばりの回転重視の特殊な投球フォームだったため、指導者毎に矯正されるうちにフォームを崩し大成しなかった。
昭和29年春=2回戦
昭和29年夏=ベスト4
昭和30年夏=ベスト8

甲子園通算成績
 4勝3敗
 3完封
 選_抜0勝1敗
 選手権4勝2敗

阪神→中日
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