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甲子園という夢舞台で、若き戦士たちは筋書きのないドラマを演じ、我々の心を揺れ動かしました。
数々の名勝負、激闘の記憶の中から、高校野球の「名投手」を厳選してここに彼等の偉業をプレイバックしてみました。

日本のプロ野球、大学野球、社会人野球、そして世界最高レベルのメジャーリーグ・ベースボールなど、いろいろな野球を見てきましたが、みな素晴らしい。しかし、私にとって最も心躍らされるのは高校野球。子供の頃から憧れ、自分が球児としてその身を投じた世界だから身近な存在なのかも知れないが、練習によって研ぎすまされたプレイのひとつひとつが積み重なって生み出される筋書きのないドラマを見る度に、熱いものが込み上げてきて、つい涙してしまう。

※2015/8/29 最終更新: 平沼翔太投手(敦賀気比)と佐藤世那投手(仙台育英)を追加。
投手名」または「タイトル」をクリックすると詳細が閲覧できます。本文中の敬称は略させていただきました。
※「甲子園出場」の印は夏・選手権優勝 (準優勝)、印は春・選抜優勝 (準優勝)。

No. 投 手 高 校 名
(都道府県)
タイトル 甲子園出場 主な実績
江川  卓 作 新 学 院
(栃  木)
怪物・江川 昭和48年春夏 打者の手元でホップする150km台の豪速球は既にプロレベル。予選で2度の完全試合を含む9度のノーヒットノーランという怪物に話題が集中。ファールチップするだけで観衆からどよめきが沸いた。その凄さに甲子園の怪物フィーバーは頂点に達する。
嶋  清一 海 草 中
(和歌山)
伝説の大投手 昭和10年夏
昭和12年夏
昭和13年春夏
昭和14年春夏
昭和14年夏、準決勝と決勝での2試合連続ノーヒットノーランは甲子園史上唯一の金字塔。5試合連続完封、45イニング無失点の全国制覇は甲子園の大会史上初めての大記録。戦前の投手の中でもひときわ輝いた伝説の大投手、不世出の名投手の未来は戦争によって奪われた。平成20年に野球殿堂入り。
吉田 正男 中 京 商
(愛  知)
大車輪 昭和6年春夏
昭和7年春夏
昭和8年春夏
大車輪の活躍で史上唯一の夏の選手権3連覇を達成。偉業達成前日の準決勝では、球史に残る明石中との延長25回も一人で投げ抜き零封。6季通算23勝(3敗)は甲子園の最多勝。春9勝、夏の14勝(無敗)はいずれも大会最多勝。平成4年に野球殿堂入り。
松坂 大輔 横   浜
(神奈川)
平成の怪物 平成10年春夏 嶋清一以来、史上2人目の選手権決勝ノーヒットノーラン、史上5度目の春夏連覇。150kmの速球とスライダーで11勝無敗、近年の高校野球では図抜けた存在感を示した。
尾崎 行雄 浪   商
(大  阪)
砂塵が舞った 昭和35年夏
昭和36年春夏
浪商の怪童と呼ばれ「砂塵が舞う」豪速球で、昭和36年夏、因縁の対決を制して頂点に立った。尾崎を語るとき欠かすことの出来ないのが、宿命のライバル柴田勲(法政二)の存在である。
楠本  保 明 石 中
(兵  庫)
世紀の剛球投手 昭和5年春
昭和6年春
昭和7年春夏
昭和8年春夏
昭和初期に現れた世紀の剛球投手。史上初の全員奪三振、ノーヒットノーランを含む3試合連続完封など記録ずくめ。昭和7年夏は64奪三振、1試合平均16奪三振の快投。8年春は夏連覇中の中京商を完封。甲子園通算15勝(5敗)8完封。中国で戦死、昭和18年没。
野口 二郎 中 京 商
(愛  知)
投げるサイボーグ 昭和10年春
昭和12年春夏
昭和13年春
昭和13年春に4試合連続完封で夏春連覇の快挙を達成、中京商の第2期黄金時代を築いた。甲子園通算12勝(1敗)。プロ入り後もシーズン30勝、40勝は当たり前というタフな投手だった。平成元年に野球殿堂入り。
池永 正明 下 関 商
(山  口)
男気のマウンド 昭和38年春夏
昭和39年春
下関商の2年生エースとして春夏連続出場、体をフルに使って大上段から投げ込む既に完成されたそのフォームで度胸満点の投球を展開、男気のあるマウンドだった。
桑田 真澄 P L 学 園
(大  阪)
不滅の甲子園20勝 昭和58年夏
昭和59年春夏
昭和60年春夏
主砲・清原和博とのKKコンビで一時代を築く。優勝2回を含めて5季通算20勝(3敗)は戦後最多(史上2位)、夏14勝(1敗)は大会最多勝タイの大記録。これほど傑出した投打の主役が同一チームに出揃う例は今後まずないだろう。
10 福島 一雄 小倉中〜小倉
(福  岡)
甲子園の土第一号 昭和21年夏
昭和22年春夏
昭和23年春夏
昭和24年春夏
昭和22夏に福岡県勢初の全国制覇。翌23年夏には嶋清一(海草中)以来、史上2人目の5試合連続完封、45イニング無失点で選手権の連覇を達成。翌年夏、右ひじを痛めて敗れた最後の試合で土を持ち帰ったのが甲子園の土のはじまりと言われる。甲子園通算17勝(3敗)、夏の甲子園は12連勝(無敗)。平成25年に野球殿堂入り。
11 松井 栄造 岐 阜 商
(岐  阜)
三尺 昭和8年春
昭和9年春
昭和10年春
昭和11年春夏
岐阜商の黄金期にその大きな縦のカーブから「三尺」というあだ名で呼ばれた通算甲子園11勝0敗の左腕。昭和8年春、明石中の楠本に投げ勝ち初優勝を飾ると、10年春と11年夏と合わせて3回も岐阜に優勝旗を持ち帰り、東海王国の礎を築いた。中国で戦死、昭和18年没。
12 沢村 栄治 京 都 商
(京  都)
日本球界が生んだ
天才投手
昭和8年春
昭和9年春夏
昭和9年、静岡・草薙球場の対全米オールスター戦で快投した全日本エース。日本プロ野球史上初のノーヒットノーランは有名。甲子園でもその片鱗を見せていた。昭和34年に野球殿堂入り。
13 前岡 勤也
(井崎)
新   宮
(和歌山)
低めを突くと砂塵が
舞った
昭和29年春夏
昭和30年夏
昭和30年当時、強打者で大明神ともいわれた浪華商・坂崎一彦も歯が立たなかった剛球左腕投手。「砂塵が舞った」伝説が伝わるのは、この前岡と浪商・尾崎である。
14 平古場昭二 浪 華 商
(大  阪)
奪三振の天才左腕 昭和21年夏 快速球を武器に4試合で62奪三振、選手権大会タイの1試合19奪三振を記録した天才左腕。それでもプロには進まなかった平古場は、のちにパ・リーグ審判を勤めている。
15 平松 政次 岡 山 東 商
(岡  山)
39回無失点男 昭和38年夏
昭和40年春夏
昭和40年春の選抜優勝投手。史上4人目の4試合連続完封後、決勝で藤田平の市和歌山商に延長13回サヨナラ勝ち。5試合で1失点、大会新記録の39イニング連続無失点。
16 柴田  勲 法 政 二
(神奈川)
どれをとっても
超一級品
昭和34年夏
昭和35年夏
昭和36年春夏
当時、高校野球史上最強チームといわれた法政二を夏春連覇に導いた立て役者。投げても打っても走っても、そして守っても「どれをとっても超一級品」だった。甲子園通算12勝(1敗)。
17 小川正太郎 和 歌 山 中
(和歌山)
不世出の豪腕
サウスポー
大正13年夏
大正14年春夏
大正15年春夏
昭和2年春
昭和3年春夏
甲子園の創世期(大正末〜昭和初期)に現れた不世出の豪腕サウスポー。8度(投手として6度)も甲子園出場、まるで二階から落ちてくるというカーブと快速球で昭和2年春センバツを制した。この優勝で米国遠征切符を手にした和歌山中は皮肉にも遠征で小川を含むレギュラーが昭和2年夏の大会に出場できなかった。甲子園通算12勝(5敗)。大正15年夏の8連続奪三振は不滅の大記録。流麗な投球フォームは芸術品といわれ、当時の投手の手本となった。昭和56年に野球殿堂入り。
18 板東 英二 徳 島 商
(徳  島)
夏の奪三振王 昭和31年夏
昭和33年夏
ストレート1本真っ向勝負にマンモスが唸る。昭和33年夏の83奪三振は甲子園史上最多。準々決勝、魚津・村椿輝雄との延長18回0対0、息詰まる投手戦は名勝負として語り継がれる。
19 斎藤 佑樹 早 稲 田 実
(東 京)
ハンカチ王子 平成18年春夏 平成18年夏の選手権優勝投手。37年ぶりの決勝戦引分再試合を含む甲子園史上最多の7試合・69回を実質一人で投げ切り、早稲田実は夏の全国初制覇を達成。候補・駒大苫小牧の3連覇を阻止。
20 王  貞治 早 稲 田 実
(東  京)
血染めのボール 昭和31年夏
昭和32年春夏
昭和33年春
世界のホームラン王は、早稲田実の左腕投手として昭和32年春を制している。左中指の爪を割りながら、準決勝と決勝を血染めのボールで完投。紫紺の大旗が箱根の山を越えた。32年夏の寝屋川戦で延長11回ノーヒットノーランを達成。平成6年に野球殿堂入り。
21 田中 将大 駒大苫小牧
(北海道)
北の怪物 平成17年春夏
平成18年夏
平成17年夏の選手権優勝投手。前年の北海道勢初の全国制覇に続く2連覇の立役者。3連覇を狙った18年夏は決勝で引分再試合の激闘の末、斎藤を擁する早実に1点及ばず。甲子園では無敗。
22 中島 治康 松 本 商
(長  野)
鉄腕 昭和3年春夏
昭和4年春
昭和5年春
ホームプレートの両コーナーを切ったというシュートで「鉄腕」の異名をとり、投打の柱として活躍。昭和28年夏、強打の平安を破り全国制覇。深紅の優勝旗が初めて日本アルプスを越えた。昭和38年に野球殿堂入り。
23 藤村富美男 呉 港 中
(広  島)
無人の荒野を行く
がごとし
昭和7年夏
昭和8年春夏
昭和9年春夏
昭和10年夏
呉港中(大正中)のエース兼主砲として、楠本保、沢村栄治、吉田正男らとの数々の名勝負を繰り返し、試合を見たい最後列の観客のために「空箱屋」が繁盛するほどの人気を集めた。昭和9年夏決勝では熊本工・川上哲治から3奪三振、完封で優勝。甲子園通算10勝(5敗)。選手権大会タイの19奪三振の記録を持つ。昭和49年に野球殿堂入り。
24 加藤 英夫 中  京 商
(愛  知)
中京伝説復活 昭和40年春
昭和41年春夏
昭和41年、史上2校目の春夏連覇を達成したときの中京商のエースで、戦前の吉田正男や野口二郎以来の中京商・黄金伝説を復活させた立役者。甲子園で無敗の10連勝。
25 石井  毅
(木村竹志) 
箕   島
(和歌山)
野球王国復活 昭和53年春夏
昭和54年春夏
野球王国・和歌山を復活させた名将・尾藤監督の秘蔵っ子エースは、小柄ながら巧みな投球術で甲子園通算14勝(1敗)。星稜戦などの名勝負を勝ち抜いて、春夏連覇の偉業を達成した。
26 島袋 洋奨 興   南
(沖 縄)
トルネード左腕 平成21年春夏
平成22年春夏
沖縄勢初の夏の全国制覇で史上6校目の春夏連覇を達成した興南のエース左腕。松坂(横浜)以来の甲子園11連勝。トルネード投法で積み重ねた年間102奪三振は左腕投手の歴代最多記録。
27 真田 重蔵
(重男) 
海 草 中
(和歌山)
投げてもよし、
打てばなおよし
昭和13年夏
昭和14年春夏
昭和15年春夏
昭和16年春
大投手・嶋清一の後を継いで、海草中を夏連覇に導いた真田重蔵は、アルプスを沸かせた戦前最後の怪腕。打てばなおよしの看板選手だった。プロ野球で通算178勝の名投手として活躍し現役を引退後、明星(大阪)の監督として再び全国制覇を経験。平成2年に野球殿堂入り。
28 岸本 正治 第一神港商
(兵  庫)
春の奪三振王 昭和2年夏
昭和4年春
昭和5年春
昭和6年春夏
前年の西垣徳雄投手の後を引継ぎ、第一神港商(現・市神港)を選抜大会連覇に導いた豪腕投手。4試合連続の2桁奪三振の快投。通算54奪三振は作新学院・江川(60奪三振)に破られるまで、43年間に渡って堂々の選抜大会記録だった。
29 灰山 元治
(元章) 
広 島 商
(広  島)
選抜史上初の
無安打無得点
昭和4年春夏
昭和5年春夏
昭和6年春
昭和5年夏、6年春の広島商・夏春連覇の立役者。春は坂出商戦で選抜大会史上初のノーヒットノーランを達成、夏3連覇の吉田正男・中京商を完封して頂点に立つ。甲子園通算9勝(1敗)。チームメートに鶴岡一人。
30 光沢  毅 飯 田 長 姫
(長  野)
元祖・小さな大投手 昭和29年春 昭和29年春、長野県下でもまったく無名だった飯田長姫を率いて身長157cmの小さな投手が大活躍、4試合でわずかに1失点という快投で長野県勢初の選抜大会優勝に導いた。
31 大島 信雄 岐 阜 商
(岐  阜)
春の4連続完封V 昭和11年夏
昭和12年春
昭和13年春夏
昭和14年春
昭和15年春
松井栄造投手の後を継いだ岐阜商の名投手。昭和13年夏と14年春に2季連続の準優勝。そして3度目の決勝進出を果たした15年春は、野口二郎(中京商)に次ぐ史上2人目の4試合連続完封で優勝。甲子園通算9勝(2敗)。戦時下で実現した最後の早慶戦では悲運の慶大エースとなる。
32 田所善次郎 静 岡 商
(静  岡)
春の4連続完封V 昭和27年春 昭和27年春の決勝、強打の渦潮打線と好投手・栗橋博を擁する鳴門の連覇の夢を打ち砕いたのは静岡商の完封男・田所善次郎である。大会史上3人目の4試合連続完封だった。
33 土屋 正勝 銚 子 商
(千  葉)
夏の選手権 1失点V 昭和48年春夏
昭和49年春夏
昭和49年夏の優勝投手。失点は初戦PL学園戦の1点だけ、決勝を含む4試合36回1/3を無失点の快投。怪物江川との延長12回・雨中の激投も制して、甲子園通算10勝(2敗)。黒潮打線には2年生・篠塚利夫がいた。
34 吉岡 雄二 帝   京
(東  京)
3完封 41回1失点V 平成元年春夏 平成元年夏の選手権優勝投手。5試合に先発して3完封。41回を投げて1失点の快投。決勝の"東日本決戦"、仙台育英戦も大越基との激投・延長戦を完封で制して全国制覇を達成。
35 森尾 和貴 西日本短大付
(福  岡)
夏の4完封 1失点V 平成4年夏 平成4年夏・優勝の本格派投手。5試合すべて完投で内4試合を完封、1失点という抜群の安定感で、決勝の拓大紅陵戦も完封。夏の出場3度目で西日本短大付を日本一に導いた。
36 藤浪晋太郎 大 阪 桐 蔭
(大 阪)
春夏連覇!
197cmのエース
平成24年春夏 史上7校目の春夏連覇を達成した大阪桐蔭のエース。197cm長身から投げ下ろす速球(選抜最速タイ153km)とブレーキ鋭いスライダーで夏の準決勝・決勝を連続完封。甲子園通算9勝無敗。
37 渡辺 智男 伊 野 商
(高  知)
名勝負・清原3三振 昭和60年春 昭和60年春、準決勝で清原・桑田が3年時の最強PL学園を3対1で破る大金星。速球勝負で清原から3奪三振。決勝で帝京を完封、東西の雄を立て続けに連破して初出場・初優勝の快挙を達成。
38 佃  正樹 広 島 商
(広  島)
怪物江川を止めた男 昭和48年春夏 達川光男とバッテリーを組んで昭和48年春・準優勝、夏・全国制覇。通算10勝1敗。怪物江川に投げ勝ち、自ら適時打を放って江川の公式戦無失点を139イニングで止めた。
39 山口 重幸 岩   倉
(東  京)
PLを1安打完封V 昭和59年春 東京 vs 大阪の東西対決となった昭和59年春センバツの決勝、大方の予想を覆し、当時最強とされた清原・桑田のPL学園を1安打完封して初出場・初優勝という快挙をやってのけた。
40 八木沢荘六 作 新 学 院
(栃  木)
傷だらけの栄光 昭和36年春
昭和37年春夏
史上初の春夏連覇を達成したときの作新学院エース。春の八幡商戦で延長18回0対0引分再試合、松山商戦で延長16回を投げ抜き、傷だらけの栄光と称された。夏は赤痢の疑いで欠場する不運。
41 近藤 金光 享 栄 商
(愛  知)
大会最多投球回 昭和8年春
昭和9年春夏
昭和9年春、徳山商戦で選抜大会最長の延長19回や浪華商戦の延長15回引分再試合など、5試合60回を一人で投げ抜いた伝説の投手。60回は選抜大会の最多投球イニング記録。
42 太田 幸司 三   沢
(青  森)
元祖コーちゃん 昭和43年夏
昭和44年春夏
夏の選手権決勝で史上初の延長18回0対0引分再試合。松山商・井上明との激投は戦後スポーツ史の奇跡といわれ、27イニングを一人で投げ切った太田は悲劇のヒーローとなる。
43 空谷  泰
(児玉)
松 山 商
(愛  媛)
空谷事件 昭和27年夏
昭和28年夏
昭和28年夏、3試合連続完封の離れ業。土佐との四国対決となった決勝で延長13回の激闘を制した剛速球投手。松山商に進学するために松山市の空谷家と養子縁組した空谷事件は有名。
44 水原  茂 高 松 商
(香  川)
どうだ!奇声投法 大正14年春夏
大正15年春
昭和2年春夏
昭和2年夏、サイドスローで一球毎に「どうだ!」と気合いもろとも奇声を発する独特の投法で全国制覇。魔術師・三原脩(高松中)とは高校・大学・プロを通じて永遠のライバル。先輩・宮武三郎と出場した大正14年夏も全国制覇。昭和52年に野球殿堂入り。
45 別所  昭
(毅彦) 
滝 川 中
(兵  庫)
泣くな別所、選抜の花 昭和15年春
昭和16年春
滝川中のエースとして主砲青田昇とともに選抜出場。昭和16年春、前年優勝の岐阜商と対戦中、本塁上のクロスプレーで左二の腕を骨折も延長11回まで続投。「泣くな…」は翌日の新聞から。昭和54年に野球殿堂入り。
46 工藤 公康 名古屋電機
(愛  知)
クリクリ目玉 昭和56年夏 昭和56年夏の選手権、初戦の長崎西戦でいきなりノーヒットノーランを達成するなど、名古屋電機(現・愛工大名電)ベスト4進出の原動力となる。金村義明の報徳学園に敗退。
47 水野 雄仁 池   田
(徳  島)
阿波の金太郎 昭和57年夏
昭和58年春夏
甲子園戦法を変えてしまったと称された"やまびこ打線"の池田の4番でエースとして活躍、前年の畠山準投手の後を継いで、池田を夏春連覇に導いた。攻めダルマ・蔦監督の絶頂期。
48 小松 辰雄 星   稜
(石  川)
スピードガンの
申し子
昭和51年夏
昭和52年春夏
夏の北陸代表として初のベスト4進出を果たした豪速球投手が星稜の小松辰雄。怪物サッシー酒井圭一投手の長崎海星も昭和51年夏の同大会の4強だが直接対決は成らなかった。
49 中田 武雄 明 石 中
(兵  庫)
延長25回1失点の
負け投手
昭和6年春
昭和7年春夏
昭和8年春夏
昭和9年春
世紀の剛球投手・楠本保の控えという印象だが、昭和8年夏の選手権準決勝・中京商戦で体調不良の楠本に代わって先発し、球史に残る激闘・延長25回を吉田正男(中京商)と投げ合った伝説の左腕投手。同2回戦(水戸商業戦)では楠本との継投でノーヒットノーランを達成。昭和9年春、天才・沢村栄治(京都商)にも投げ勝っている。
50 永川 英植 横   浜
(神奈川)
関東三羽烏の一番星 昭和48年春
昭和49年春
横浜の2年生エース・永川英植は、昭和48年春の選抜に出場、勝ち進んで迎えた決勝で、佃・達川バッテリーの強豪・広島商との延長11回激闘に投げ勝ってセンバツ制覇を達成している。
51 工藤 一彦 土 浦 日 大
(茨  城)
土浦の快腕 昭和49年春夏 銚子商の土屋、横浜の永川とともに「関東三羽烏」と呼ばれた好投手で、実力はNo.1とされた。昭和49年夏、原辰徳の東海大相模との延長16回を投げ抜くも、惜しくも2対3のサヨナラ負け。
52 仲根 正広 日 大 桜 丘
(東  京)
ジャンボ仲根 昭和47年春夏 昭和47年春の優勝投手。決勝は東京代表の日大勢による兄弟校同士という珍しい対決となったが、前年覇者の日大三の連覇を阻み、見事完封で初出場・初優勝を果たす。
53 平沼 翔太 敦 賀 気 比
(福 井)
大阪桐蔭に雪辱
4安打完封
平成26年夏
平成27年春夏
平成27年春の選抜優勝投手で甲子園通算10勝2敗。前年夏の準決勝で逆転負けを喫した強豪・大阪桐蔭に雪辱を果たす4安打完封。紫紺の大旗が初めて福井に渡った。
54 田村 隆寿 磐   城
(福  島)
二代目小さな大投手 昭和45年夏
昭和46年夏
昭和46年夏の準優勝投手。準決勝まですべて完封で勝ち上がるが、決勝で初出場・桐蔭学園に0対1の惜敗。甲子園で初めて許した1点に泣いた小さな大投手。優勝旗は白河の関を越えず。
55 井上  明 松 山 商
(愛  媛)
奇跡の25球 昭和43年夏
昭和44年夏
昭和44年夏の優勝投手。あの三沢・太田幸司との決勝戦・延長18回0対0を投げ抜いたが、再試合では控えの中村投手の救援を仰いだものの全国制覇を達成。
56 愛甲  猛 横   浜
(神奈川)
不適な悪童 昭和53年夏
昭和55年夏
快進撃で一躍甲子園のアイドルとなった1年生荒木大輔の早稲田実を決勝で破り、横浜を初めて夏の選手権優勝に導いた左腕が愛甲猛。不適な悪童と称された。
57 島本 講平 箕   島
(和歌山)
二代目コーちゃん 昭和45年春夏 自らのサヨナラヒットで北陽(大阪)との近畿勢決戦を制し、和歌山県勢としては昭和2年の和歌山中以来、43年ぶりの選抜制覇を達成。名将・尾藤監督、悲願の初優勝だった。
58 ダルビッシュ有 東   北
(宮  城)
ダル人気 平成15年春夏
平成16年春夏
長身から投げ下ろす快速球と9種類の多彩な変化球で、平成15年夏の選手権準優勝。翌16年春の選抜1回戦では、熊本工を相手に大会史上12人目のノーヒットノーランを達成。
59 福井 優也 済   美
(愛  媛)
魔法の合言葉 平成16年春夏
平成17年夏
平成16年春の選抜優勝投手。創部3年目の済美を初出場・初優勝に導き、続く夏の選手権でも準優勝。ミラクル快進撃で校歌の「やればできるは魔法の合言葉」が話題に。
60 東浜 巨 沖 縄 尚 学
(沖 縄)
なお 平成20年春 平成20年春の選抜優勝投手。柔らかい腕の振りから繰り出す球威のある速球とツーシーム、スライダーなどブレーキ鋭い変化球で沖縄尚学を9年ぶり2回目の優勝に導いた。
61 松井 裕樹 桐 光 学 園
(神奈川)
甲子園最多奪三振 平成24年夏 平成24年夏の対今治西戦で戸田善紀(PL学園)の21を上回る甲子園9イニング最多22奪三振、小川正太郎(和歌山中)の8連続を上回る大会新10連続奪三振を記録。大会68奪三振は辻内(大阪桐蔭)を抜く甲子園左腕歴代1位。光星学院戦で大会史上初となる3試合目の毎回奪三振を達成。
62 辻内 崇伸 大 阪 桐 蔭
(大  阪)
最多奪三振左腕
(当時)
平成16年春
平成17年夏
平成17年夏に記録した大会65奪三振は楠本(明石中)を抜く当時の甲子園左腕歴代1位(現在は松井裕樹の68が最多)。対藤代戦で大会タイ(当時)の19奪三振を記録。大会2度の全員奪三振は小川(和歌山中)以来2人目。左腕投手として当時の最速153kmをマーク。
63 今村 猛 清   峰
(長  崎)
たけるん 平成20年夏
平成21年春
平成21年春の選抜優勝投手。決勝で菊池雄星(花巻東)との投手戦を1−0で制し、紫紺の大旗が初めて長崎に渡った。5試合44イニングで3完封、失点1、防御率0.20という抜群の安定感だった。
64 酒井 圭一 海   星
(長  崎)
怪物サッシー 昭和51年夏 長崎県予選で16人連続三振の怪記録を持つ長身の本格派。昭和51年夏に甲子園出場を果たして選抜優勝校の崇徳に完封勝利、ベスト4進出の原動力となり怪物サッシーと呼ばれた。
65 中西 清起 高 知 商
(高  知)
球道クン 昭和53年夏
昭和54年春
昭和55年春夏
昭和55年春選抜の優勝投手。決勝の伊東昭光(帝京)との息詰まる投手戦は延長10回に1対0サヨナラ決着。高知商は春夏合わせて4度目の決勝進出で悲願の初優勝。ニックネーム「球道」は水島新司氏の漫画「球道くん」の主人公「中西球道」にちなんだもの。
66 川上 哲治 熊 本 工
(熊  本)
打撃の神様は
準優勝投手
昭和9年夏
昭和11年春
昭和12年夏
打撃の神様といわれ巨人V9の黄金時代を築いた名将の高校時代は左腕投手。昭和12年夏、吉原正喜とバッテリーを組んで選抜準優勝。野口二郎の中京商との決勝戦後、グランドの土を持ち帰る(甲子園の土第一号とされる福島一雄の12年前)。昭和40年に野球殿堂入り。
67 荒木 大輔 早 稲 田 実
(東  京)
大ちゃんフィーバー 昭和55年夏
昭和56年春夏
昭和57年春夏
故障したエース芳賀の代役で、無心で臨んだ1年生投手が、東東京予選はおろか夏の選手権で4完封、44回1/3連続無失点の好投でいきなり準優勝。デビューも鮮烈だが、5季連続の甲子園で12勝(5敗)は見事。大ちゃんフィーバーは社会現象となった。控え投手に石井丈裕がいた。
68 村椿 輝雄 魚   津
(富  山)
シンキロウ旋風 昭和33年夏 昭和33年夏、初出場・魚津をベスト8まで押し上げてシンキロウ旋風を起こした好投手。準々決勝の徳島商・板東との延長18回引分再試合に敗れて「泣くな村椿」の声があがった。
69 津田 恒実
(恒美) 
南 陽 工
(山  口)
ツネゴン 昭和53年春夏 のちに広島カープで炎のストッパーとして活躍した津田は、昭和53年春夏に甲子園連続出場、全国ではまったく無名だった南陽工を選抜ベスト8に導いている。平成23年に野球殿堂入り。
70 寺原 隼人 日 南 学 園
(宮  崎)
甲子園最速男 平成13年夏 平成13年夏の選手権、2回戦の玉野光南戦で甲子園史上最速となる154kmを記録する(メジャー関係者の計測は初速158km)。準々決勝で横浜相手に好投するも9回に決勝点を奪われ敗退。
71 新垣  渚 沖 縄 水 産
(沖  縄)
非運の快速球投手 平成10年春夏 快速球151kmの投球も松坂の春夏連覇の影に隠れて、完全にかすんでしまった。エースとして出場を果たした平成10年春夏は何故かリリーフに回され無念の敗退。
72 戸田 善紀 P L 学 園
(大  阪)
選抜最多奪三振 昭和37年夏
昭和38年春
昭和38年春の選抜大会、対首里戦で記録した21奪三振は、1試合9イニングでの選抜大会・最多奪三振記録である (甲子園最多は松井裕樹の22奪三振)。
73 矢滝 伸高 米 子 東
(鳥  取)
選抜最多奪三振2 昭和35年春夏
昭和36年春
昭和36年春の選抜大会、対敦賀戦で記録した23奪三振は、延長16回参考記録ながら大会最多である (夏の選手権大会は坂東英二の延長18回25奪三振が最多)。前年、昭和35年春の選抜大会で米子東が準優勝したときは外野手で出場。
74 坂元弥太郎 浦 和 学 院
(埼  玉)
選手権最多奪三振
(当時)
平成12年夏 平成12年夏の対八幡商戦での19奪三振は、森田勇(東山中)、藤村富美男(呉港中)、平古場昭二(浪華商)に並ぶ選手権の最多奪三振記録(当時)。現在は松井裕樹(桐光学園)の22が最多。
75 大越  基 仙 台 育 英
(宮  城)
みちのくの夢叶わず 平成元年春夏 平成元年夏の"東日本決戦"で帝京の吉岡雄二と激闘・延長戦の末、0対2で惜しくも敗退、準優勝。太田(三沢)・田村(磐城)に続き、みちのくの夢「白河の関越え」は三たび叶わず。
76 佐藤 世那 仙 台 育 英
(宮  城)
セナ 平成27年春夏 平成27年夏の準優勝投手。決勝で投げ合った東海大相模の小笠原に9回決勝弾を浴び、みちのくの夢は叶わず。直後のU18W杯で日本高校選抜として米国戦史上初の完封という快挙。
77 山田喜久夫 東   邦
(愛  知)
キク 昭和63年春
平成元年春夏
昭和63年春、宇和島東の小川洋に投げ負けて惜しくも準優勝に終わるが、翌平成元年春も執念で決勝に進出、元木・種田の上宮に競り勝って選抜を制覇した左腕。
78 牛島 和彦 浪   商
(大  阪)
浪花のエース 昭和53年春
昭和54年春夏
3試合連続本塁打で一躍甲子園の人気者になったドカベン香川とバッテリーを組んで、昭和54年に春夏連続出場、名門・浪商をセンバツ準優勝、選手権ベスト4に導いた浪花の快腕エース。
79 野村 弘樹
(弘) 
P L 学 園
(大  阪)
PL春夏連覇 昭和62年春夏 先発・野村弘樹で、抑えに橋本清や岩崎充宏という投手リレーで史上4校目となる春夏連覇を達成。PL学園チームメートの野手組は片岡篤史、立浪和義、宮本慎也と豪華メンバーが揃う。
80 山沖 之彦 中   村
(高  知)
二十四の瞳 昭和52年春 昭和52年春の選抜、初出場・準優勝の原動力となった長身エース。中村の躍進は、その3年前に"さわやかイレブン"で全国区となった池田になぞらえて「二十四の瞳」と称された。
81 三浦 将明 横 浜 商
(神奈川)
春夏連続・準V 昭和57年春
昭和58年春夏
昭和58年に横浜商を春夏連続で決勝進出に導いたエース。選抜は水野雄仁の池田、選手権はKKコンビのPL学園という当時を代表する二強に優勝を阻まれた。通算12勝(3敗)は学制改革後3位。
82 松本  稔 前   橋
(群  馬)
初代・完全男 昭和53年春 昭和53年春1回戦の対比叡山(滋賀)戦で、春夏通じて史上初の完全試合を達成。投球数わずか78球の省力投球だった。2回戦は、準優勝の福井商に0対14で大敗。
83 中野 真博 金   沢
(石  川)
二代目・完全男 平成5年春夏
平成6年春
平成6年春1回戦の対江の川(島根)戦で、前橋・松本稔以来となる史上二人目の完全試合を達成 。投球数99球の頭脳的ピッチングだった。2回戦は、PL学園に0対4で惜しくも敗退。
84 新谷  博 佐 賀 商
(佐  賀)
夏の準完全男 昭和57年夏 昭和57年夏1回戦の対木造(青森)戦で、完全試合まであと一人の9回2死から死球を与え、選手権史上初の快挙を逃す(ノーヒットノーラン達成)。選手権で完全試合は未だに達成されていない。
85 岩井 喜治 平   安
(京  都)
決勝1安打完封 昭和30年春
昭和31年夏
昭和31年夏の優勝投手。3度目の優勝戦という岐阜商との宿命の対決を1安打快投で制して平安を全国制覇に導いた。皮肉にも、春も準優勝だった非運の岐阜商エース清沢に注目が集まった。
86 清沢 忠彦 岐 阜 商
(岐  阜)
王の宿命のライバル 昭和31年春夏
昭和32年春夏
早実の王との左腕対決を制した昭和31年夏の選手権で準優勝投手。翌32年夏、初戦の津島商工戦でノーヒットノーランを達成すると、早実の王も寝屋川戦で延長11回をノーヒットノーラン。
87 城戸  博 済 々 黌
(熊  本)
白いマスク 昭和31年夏
昭和33年春夏
昭和33年春の優勝投手。風邪で高熱を出しながらマスクをかけて粘投。優勝候補の早実戦では王に特大一発を許すも勝利。同郷の熊本工や中京商を下し紫紺の大旗が初めて関門海峡を渡った。
88 吉良 修一 津 久 見
(大  分)
魔球ドロップ 昭和41年夏
昭和42年春
魔球といわれた鋭いドロップで昭和42年のセンバツを制覇。決勝の高知戦では黒潮打線から16三振を奪い、大会4試合で51奪三振という力投で津久見を初出場初優勝に導いた。
89 尾崎 将司
(正司) 
徳 島 海 南
(徳  島)
ジャンボ尾崎 昭和39年春 プロゴルファーとして成功したジャンボ尾崎は昭和39年のセンバツ優勝投手。超人的な活躍で徳島海南を初出場初優勝に導いた。決勝では尾道商の小川邦和(巨人)に投げ勝っている。
90 木樽 正明 銚 子 商
(千  葉)
県勢初の決勝進出 昭和38年夏
昭和40年夏
昭和40年夏の選手権・準優勝投手で、千葉県勢初の決勝進出に導いた本格派。原貢監督(原辰徳の父)、上田卓三投手の三池工に惜敗。NHK中継で初めてカラー映像が流れた。
91 丸山  朗 興   国
(大  阪)
黄金の腕 昭和43年春夏 昭和43年夏の選手権・優勝投手で、右の技巧派。コーナーをつく頭脳的なピッチングで6試合51イニングで失点わずかに1という黄金の腕によって“村井野球”が花開いた。
92 正田  樹 桐 生 一
(群  馬)
群馬県勢初V 平成10年夏
平成11年夏
平成11年夏の選手権・優勝左腕。村西(比叡山)、高木(静岡)、上野(樟南)らの好投手にことごとく投げ勝ち、全6試合を完投(3完封)。春夏を通じて初めて群馬に優勝旗をもたらした。
93 菊池 雄星 花 巻 東
(岩 手)
雄星 平成19年夏
平成21年春夏
平成21年春の選抜準優勝投手。最速152kmの速球が唸りを上げ、2試合連続完封を含む5試合40イニング3失点の快投は華のある投球だった。決勝で清峰に0−1惜敗し白河越えは成らず。同年夏の選手権でも4強入り、東北との3回戦で左腕投手として甲子園最速の154kmをマーク。
94 新浦 寿夫 静 岡 商
(静  岡)
1年生の準優勝投手 昭和43年夏 昭和43年夏の選手権に1年生エースで準優勝投手になった左の本格派。決勝では興国に0−1の惜敗。その後の活躍に期待が集まったが、同年末に静岡商を中退して巨人に入団してしまう。
95 定岡 正二 鹿 児 島 実
(鹿児島)
不運のヒーロー 昭和48年夏
昭和49年夏
昭和49年夏の選手権、原辰徳の東海大相模とのナイター延長15回の激闘を18奪三振の快投で制したが、準決勝・防府商戦で本塁突入の際に手首を負傷して3回無念の降板、不運のヒーローに。
96 村中 秀人 東海大相模
(神奈川)
1年生救援エース 昭和49年夏
昭和50年春夏
昭和51年夏
昭和50年春に準優勝した東海大相模のリリーフエースとして活躍した1年生左腕。49年夏、土浦日大との対戦ではビッグ3の工藤に延長戦7イニングを抑えて投げ勝っている。同期に原辰徳がいた。
97 堅田外司昭 星   稜
(石  川)
延長18回激闘 昭和52年夏
昭和54年春夏
昭和54年に春夏連覇を達成した箕島・石井毅との選手権3回戦の激投は奇跡のドラマとして語り継がれる。2度の勝機にいずれも本塁打で追いつかれ、文字どおり最終の延長18回に力尽きた。
98 伊東 昭光 帝   京
(東  京)
帝京初勝利&
準優勝投手
昭和55年春 昭和55年春の準優勝投手。決勝では中西清起の高知商に0−1で惜しくもサヨナラ負けを喫したが、大黒柱として投打に活躍。準決勝の丸亀戦では自ら劇的サヨナラアーチを放っている。
99 比嘉 公也 沖 縄 尚 学
(沖  縄)
沖縄悲願の初V 平成11年春夏 平成11年春、首里(昭和33年)以来の沖縄悲願を果たしたエース。2回戦で足を捻挫、満身創痍でのぞんだ準決勝PL学園戦で延長12回212球の熱投。決勝マウンドは照屋に譲るが最大の貢献者。
100 上田 佳範 松 商 学 園
(長  野)
35回無失点男 平成3年春夏 平成3年春の準優勝投手。前年夏の覇者天理、強打の大阪桐蔭、国士舘を3連続完封で35回無失点を記録。決勝の広陵戦は65年前の決勝の雪辱戦だったが平成の敵討ちは成らずサヨナラ負け。
101 三沢 興一 帝   京
(東  京)
首都圏決戦制して
選抜初V
平成3年春夏
平成4年春夏
平成4年春のセンバツ優勝投手。4連投で迎えた決勝は、大会No.1右腕と評された吉田道のいる東海大相模(神奈川)との“首都圏決戦”を制して帝京をセンバツ初の頂点に導いた。
102 稲若  博 八 尾 中
(大  阪)
元祖甲子園アイドル 昭和4年春
昭和5年春
昭和6年春夏
昭和7年春夏
八尾中エースは13歳少年投手。高等小学校を経ず旧制中学校に直接入学。2年生(14歳)のとき昭和4年春の選抜出場。松本商戦で1失点完投デビュー。海草中戦では5失点も味方打線が9回6点を取って大逆転。準決勝に進出して人気者に。稲若こそが甲子園が生んだ元祖アイドルだ。
103 坂本 佳一 東   邦
(愛  知)
バンビ坂本 昭和52年夏 昭和52年夏の1年生・準優勝投手。バンビ坂本と呼ばれ、甲子園アイドルとして一世風靡した。決勝戦後、土を持ち帰らず甲子園への再出場を誓うが、夢は叶わなかった。
104 野中 徹博 中   京
(愛  知)
中京100勝エース 昭和57年春夏
昭和58年夏
本格派投手として昭和57年〜58年に4強2回、8強1回、通算10勝(3敗)の好成績。57年春の大成戦で名門・中京(現・中京大中京)の甲子園100勝を完封で達成。控え投手に紀藤真琴がいた。
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