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23 無人の荒野を行くがごとし 備 考
藤村富美男

大 正 中
呉 港 中
(広 島)
呉港中(大正中)のエース兼主砲として活躍、昭和7年夏から春夏合わせて6回も甲子園の土を踏み、昭和9年夏に全国制覇を達成している。熊本工との決勝ではのちに"打撃の神様"と呼ばれた川上哲治を3三振とまったく相手にせず、2安打完封で頂点に立った。また10年夏の対飯田商戦には、選手権大会タイの1試合19奪三振を記録している。

空箱屋が大繁盛
藤村の活躍ぶりは「無人の荒野を行くがごとし」といわれ、甲子園の外野スタンドでは空き箱の上に立って試合を見る最後列の観客のために「空箱屋」が大繁盛するほどの人気沸騰ぶりだったという。
のちにタイガース(阪神)の主砲となり、173cmという大きくない体で37インチ(94cm)の長くて重い物干し竿バットをブン回して打ちまくった。初代・ミスタータイガース「猛虎」藤村富美男は、まぎれもなく甲子園のために生まれてきた男だった。

楠本保、沢村栄治、吉田正男との名勝負
藤村がはじめて甲子園に登場したのは、まだ旧校名・大正中時代の昭和7年夏だった。初戦の大連商(満州)に3対2で勝利したが、2回戦で楠本保の明石中(兵庫)に0対1で惜敗している。翌8年春は、初戦の松山中(愛媛)を延長12回の末4対3で下したが、2回戦で沢村栄治の京都商に2対3で惜敗する。8年夏は、初戦(2回戦)の松本商(長野)を完封4対0、迎えた準々決勝は、二日後に夏3連覇を達成する吉田正男の中京商(愛知)に0対2で敗退し、三たび夢を阻まれ、校名を呉港中に改名後の9年春は、広江嘉吉の岐阜商に2対4で初戦敗退している。

▼昭和7年選手権大会・2回戦 (明石)楠本保 (大正)藤村富美男
明石中 100 000 000=1
大正中 000 000 000=0

▼昭和8年選抜大会・2回戦 (京都)沢村栄治 (大正)藤村富美男
京都商 020 100 000=3
大正中 000 020 000=2

▼昭和8年選手権大会・準々決勝 (中京)吉田正男 (大正)藤村富美男
中京商 000 100 001=2
大正中 000 000 000=0

川上哲治を3打席3三振、悲願の全国制覇
昭和9年夏、初戦の長野商に17奪三振の5対1で快勝、2回戦の桐生中(群馬)に完封8対0で圧勝、準々決勝の海南中(和歌山)を4対2で下し、準決勝の秋田中も寄せつけず9対0で大勝して初の決勝進出を果たす。決勝の対戦相手は、吉原正喜捕手(巨人)や1年生・川上哲治(巨人)のいた熊本工だった。熊本工の戸上・吉原バッテリーから5回に奪った2点が決勝点となって、投げては藤村が2安打完封、2対0で勝ち、悲願の全国制覇を達成した。9番右翼手で、まだ左打者に転向後5ケ月目だった川上は、藤村の剛球にバットをかすらせることもできずに3打席3三振だった。このとき呉港中のチームメイトは、田川豊(南海→大洋→近鉄→大映)、塚本博睦(阪神→阪急→西日本→西鉄→広島)、橋本正吾(阪神→阪急)、保手浜明(翼)という豪華顔ぶれだった。

▼昭和9年選手権大会・決勝 (熊本)戸上 (呉港)藤村富美男
熊本工 000 000 000=0
呉港中 000 020 00X=2
※呉港中は初優勝。

選手権大会タイ19奪三振
昭和10年夏にも出場し、飯田商(長野)と日新商(大阪)に勝ちベスト8入りするが、準々決勝で早稲田実(東京)に敗れている。藤村は初戦の飯田商戦で選手権大会最多の19奪三振、2回戦の日新商戦でも17奪三振を記録している。

甲子園での投手成績
大 会スコア対戦相手備 考
昭和7年夏1回戦03-2___完投勝利:6安打10奪三振
2回戦00-1__完投:2安打6奪三振
昭和8年春1回戦04-3__完投勝利:10安打8奪三振 (延長12回)
2回戦02-3__藤村-柚木-藤村
昭和8年夏2回戦04-0__完封勝利(1):3安打5奪三振
準々決勝00-2__完投:7安打2奪三振
昭和9年春1回戦02-4__完投:5安打12奪三振
昭和9年夏1回戦05-1__完投勝利:2安打17奪三振
2回戦08-0__完封勝利(2):5安打9奪三振
準々決勝04-2__完投勝利:4安打4奪三振
準決勝09-0__藤村-柚木-藤村 (完封リレー)
_02-0__完封勝利(3):2安打14奪三振
昭和10年夏1回戦03-2__完投勝利:3安打19奪三振
2回戦○11-10__完投勝利:9安打7奪三振
準々決勝00-5早 稲 田 実完投:11安打4奪三振

藤村一族の甲子園伝説
藤村の甲子園伝説はこれで終わらない。兄弟、子孫の代まで脈々と受け継がれるのだ。まず、弟の藤村隆男が呉港中から昭和14年春に甲子園に出場、兄弟出場を果たすが、ここまでは珍しい出来亊ではない。時を経て、昭和40年春に育英(兵庫)の三塁手として藤村富美男の長男・哲也が、続いて42年の春に三田学園(兵庫)の三塁手として次男・雅美が出場。さらに時代は平成に移り、平成8年夏に海星(三重)の三塁手として哲也の長男・一仁が、続いて10年夏と11年春に海星の捕手として次男・賢が出場。何と広島・兵庫・三重の3県4校に股がり、まったく他に類を見ない「親子3代の兄弟出場」となった。

藤村一族の甲子園、まだ続きがあるから驚きだ。記憶に新しい平成12年春の育英(兵庫)で、雅美の長男・光司が7人目の甲子園出場選手となったのだ。しかも育英の監督として息子と"同時出場"を果たしたのは、驚くなかれ藤村富美男の次男・雅美、その人だった。

初代・ミスタータイガース、永久欠番10
プロ入り後の藤村富美男の話をするにはスペースが足りなすぎる。ここでは割愛する代わりに、詳しい情報をひとつ紹介しておく。
今日のことあれこれと…
昭和7年夏=2回戦
昭和8年春=2回戦
昭和8年夏=ベスト8
昭和9年春=1回戦
昭和9年夏=優 勝
昭和10年夏=ベスト8
 (対飯田商=大会最多19奪三振)

甲子園通算成績
 10勝5敗
 3完封
 選_抜1勝2敗
 選手権9勝3敗

阪神
 首位打者=1回
 本塁打王=3回
 打点王=5回
 通算224本塁打
 通算1126打点
 通算打率.300
 シーズン46本塁打(昭和24年)

初代・ミスタータイガース
背番号10=阪神の永久欠番

昭和49年に野球殿堂入り
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