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11 三尺 備 考
松井 栄造

岐 阜 商
(岐 阜)
岐阜県勢は過去、春夏合わせて4回、優勝旗を持ち帰っている(すべて岐阜商=現・県岐阜商)。その内の3回(昭和8年春、10年春、11年夏)すべてで優勝投手になった左腕投手がいる。その大きな縦のカーブから「三尺」というあだ名で呼ばれた、岐阜商の"優勝男"こと松井栄造である。

東海王国の礎
昭和8年春は、第10回大会を記念して従来の倍の32校が出場。優勝校には文相杯と優勝メダルが、準優勝校には準優勝旗と準優勝メダルが贈られた。また前年優勝校の無条件出場をやめたのもこの大会から。まず1回戦は近藤・広江・松井の3投手の継投で静岡中をかわして6対5。松井は鳥取一中との2回戦に初先発して5対3で完投勝利。準々決勝は広江が海草中(和歌山)を完封3対0。準決勝も広江が2試合連続完封、広島商を4対0で下して決勝進出を果たす。広島商の投手は鶴岡一人(南海監督でプロ野球史上最多の通算1773勝)、監督は石本秀一(広島商で全国制覇4回、阪神タイガースで日本一2回、広島カープの初代監督)だった。松井はまだ控え投手で主に中堅手として出場していたが、迎えた決勝の先発投手は満を持して松井だった。明石中の楠本保と緊迫した投手戦を展開。終盤の8回にスクイズで決勝点を奪うと1対0で3安打完封勝利し、初優勝を飾る。この優勝が「東海王国」の礎を築いた(9年東邦商、10年岐阜商、11年愛知商と東海勢4連覇)。世紀の剛球投手といわれた明石中の楠本保は、5試合で失点2の力投も2年連続の準優勝に終わった。

▼昭和8年選抜大会・決勝 (岐阜)松井栄造 (明石)楠本保
岐阜商 000 000 010=1
明石中 000 000 000=0
※岐阜商は初優勝。

打撃の広陵との優勝戦
10年春は主将でエースとして出場。初戦は16奪三振ショーを演じて徳島商に11対2で大勝、準々決勝は島田商(静岡)を2安打完封、5対0で勝ち上がった。準決勝も東海対決となった愛知商戦は1対1降雨5回引分となるが、再試合で延長10回に3対2でサヨナラ勝ち。決勝は、打撃好調の広陵中(広島)に前半につかまり3点ビハインドの中盤5回、広陵中エースの川口一麿から4点を奪って一気に逆転、その後は松井が抑えて5対4で逃げ切り2回目の優勝。このときの広陵中は門前真佐人(阪神→金星→阪神→大洋→広島→広島監督)、白石敏男(巨人→広島)、海蔵寺弘司(南海)、戒能朶一(名古屋)、秋山正信(広島)という凄いメンバーだった。

▼昭和10年選抜大会・準決勝 =延長10回= (愛知)高橋 (岐阜)松井栄造
愛知商 100 010 000 0=2
岐阜商 000 100 010 1X=3

▼昭和10年選抜大会・決勝 (岐阜)松井栄造 (広陵)川口一麿
岐阜商 100 040 000=5
広陵中 002 200 000=4
※岐阜商は2年ぶり2回目の選抜大会V。

3回目の栄冠
11年夏は打線が好調で、初戦の盛岡商(岩手)に18対0で大勝、2回戦は鳥取一中に4対1で勝利(松井が救援勝利)。準々決勝で和歌山商に9対1で快勝、ここまでの3試合は松井の控えだった野村が先発。準決勝で松井が先発して1失点完投勝利、育英商(兵庫)を7対1で退けて決勝へ進出。そして決勝でも先発し、木村進一(名古屋→平安監督)、辻井弘(太陽→広島→国鉄)のいた平安中(京都)をまったく寄せつけず9対1と完勝、松井は1失点完投で夏の選手権を制して3回目の栄冠に輝いた。

▼昭和11年選手権大会・準決勝 (岐阜)松井栄造 (育英)佐藤
岐阜商 100 023 010=7
育英商 000 000 001=1

▼昭和11年選手権大会・決勝 (岐阜)松井栄造 (平安)北川、広瀬
岐阜商 003 006 000=9
平安中 010 000 000=1
※岐阜商は初の選手権大会V。

甲子園での投手成績
大 会スコア対戦相手備 考
昭和8年春1回戦06-5___近藤-広江-近藤-広江-松井 (救援勝利) -広江
2回戦05-3鳥 取 一 中完投勝利:6安打11奪三振
準々決勝○06-0__登板なし (広江○2安打完封)
準決勝○04-0__登板なし (広江○3安打完封)
_01-0__完封勝利(1):3安打7奪三振 (初優勝)
昭和9年春1回戦○04-2__登板なし (広江○2失点完投)
2回戦●04-5__広江-松井
昭和10年春2回戦○11-2__完投勝利:2安打16奪三振
準々決勝05-0__完封勝利(2):2安打9奪三振
準決勝01-1__先発 5回1失点 (5回降雨引分)
_03-2__完投勝利:3安打11奪三振 (再試合)
_05-4__完投勝利:5安打4奪三振 (2年ぶり優勝)
昭和11年春1回戦03-2__野村-松井 (救援勝利)
2回戦●00-2__登板なし (野村●2失点完投)
昭和11年夏1回戦18-0__登板なし (野村○3安打完封)
2回戦04-1鳥 取 一 中野村-松井 (救援勝利)
準々決勝09-1和 歌 山 商登板なし (野村○1失点完投)
準決勝07-1__完投勝利:3安打7奪三振
_09-1__完投勝利:8安打5奪三振 (選手権初優勝)

一部に選抜大会・個人通算最多勝を松井の11勝とする情報もあるが、誤りである可能性が高いと思われる。正しくは春の選抜大会が通算8勝 (吉田正男の9勝に次ぐ歴代2位) で、夏の選手権大会の3勝を加えると、松井の勝星は春夏通算11勝 (無敗) となる。公式記録によれば、昭和8〜11年に岐阜商が挙げた選抜大会11勝の内、3勝は広江投手(完封勝利が2試合、完投勝利が1試合)である。

全国にその名を知られた松井はその後、早大に進み東京六大学でも神宮の星として活躍した。浜松出身の松井は、育ての親同然の遠藤健三氏(当時、岐阜商の後援会長)にあて出征の決意書を書いたが、昭和18年5月に中国で戦死し、書は遺書となった。
昭和8年春=優 勝
昭和9年春=2回戦
昭和10年春=優 勝
昭和11年春=2回戦
昭和11年夏=優 勝

甲子園通算成績
 11勝0敗
 選_抜8勝0敗
 選手権3勝0敗

早大
中国で戦死 (昭和18年没)
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